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「人間免許証の取り方・No.1」
全ての物事には、基本法則と基本構造があります。
自動車の運転ひとつをとっても、まずハンドルやアクセル、ブレーキなどの役割とその操作方法を知らなくては、運転できません。
その上、交通法規を知らないとすぐさま事故につながるでしょう。
さらに言えば、行き先までの地図や目的地がハッキリと定まっていなければ、どこをどう走って良いやら見当もつかない事になります。
では、私たち人間の基本構造と操作方法とは何でしょうか?
そして私たちが人間として生きていく上での基本的な法則とは、果たして何でしょうか?よく考えてみると私たちは、こうした基本的な問題について、これまでに一度も教わったことがなかったのです。
また、そうしたことに注意を振り向けようともしなかった。いや、考えてはみたが途中でわからないと投げ出し、それ以来なるべくそうした考えから遠ざかろうと、無理矢理、心を「忙しくしてきた、というのが正直なところではないでしょうか?
それはちょうど、自動車の基本構造や操作方法を知らず、交通法規の存在さえ無視して、街を走っている車のようなものと言えるでしょう。
これでは、あちこちの電柱や塀にぶつかりながら満身創痍のうちに人生という道を走っているようなものです。
しかも、死ぬまでに何をしておけば、死の瞬間に後悔しないで死ねるか?という「生きる目的」さえ、ハッキリしないまま走っているのですから、毎日が不安の連続なのは当然と言えるでしょう。
では、人間としての基本的な法則とは一体なんでしょうか?
人間としての基本がハッキリしなければ、当然のことながらその人が一人の人間として自立することは難しいでしょう。
そして自立していない人が、何かに依存して生きて行く……たとえば「仕事に全ての生きがいを賭ける」とか「財産や地位があるから、とりあえず安心」とか「子供や家庭に寄りかかって行く…」といった状況では、真の心の平安は訪れないでしょう。そればかりか、頼りとする「仕事」や「会社」や「家庭」や「財産」「地位」までが満足の行くものには決してならないのは自明の理です。
個々の人間が、真の意味で自立していなければ、その個人が関係している家庭、会社、社会、国家に至るまでが、うまく行くわけはないのです。
会社に例をとれば「会社の業績を上げる」ためには、その構成要因である個人が自立していることが、何よりも大切だといえるでしょう。
人間としての基本構造と操作方法、それに基本的な法則を知っている人たちによって運営される会社は、自然の成り行きとして環境を汚染することなく、社会に貢献しながら業績をぐんぐん伸ばしていけるはずだからです。
だからといって、ここで論じられるのは、倫理的なことや宗教的なものではありません。